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【雑感】芸術と経験について

ストラディバリウスと入門用というヴァイオリン二本を目隠しで聴き比べ、それぞれを言い当てることはそんなに難しくはない。出来ないという人も二本の違いくらいは気付くだろう。選ぶのが難しいのはその違いによる優劣を判断出来ないからである。よりよいヴァイオリンとはどのようなものであるのかを知らないことが判断を誤らせるのだ。違いの一つの具体例として音量がある。よりよいヴァイオリンはよく楽器が鳴り、安定した音で遠くまで力強く響く。そのことを知っているだけでもう二本を聴き分けて言い当てられるようになるだろう。このように、二本の違いを聴き取れるかは感性や観察力の問題だが、聴き取ったその違いの優劣を判断出来るかは知識や経験によるという話である。芸術において私達は優劣を先天的に知っているのではなく、経験によって学習するのだ。

では、比較するのが前述のように極端に性能が異なる二本ではなく、ストラディバリウスと現代最高水準のものであるならどうだろうか。その二本はやはり聴き分けられるが、優劣によってそれぞれを言い当てることは出来ないに違いない。それはストラディバリウスの方がいい音がするとは必ずしも限らないからで、言い当てる為にはそれぞれの個性を把握していなければならい。詰まり、微妙な差異を聴き分ける高い感性と観察力、そしてより多くの知識と経験が必要となり、難易度が格段に上がるということである。

知覚と判断に係るこのような話は楽器の分別に限らず、例えば造形の分野においても同じことが言える。「感性の赴くままに」表現したり感じ取ることが正しいのはそれがよい経験の道筋にある限りにおいてであり、そこから外れてしまうと駄作や愚鈍に陥る。だが、そこから少し外れないと、新たな道は開けない。見たまま、聴いたままに判断してしまう落とし穴は、大抵それが恣意的な好悪の表れでしかないからで、見識を伴わないことにある。無自覚な奴隷では芸術とは無縁と言わざるを得ない。